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速読

をやってみようと思った。

正確には、速読をマスターして、たくさんの本を読もうと考えた。
自分はとにかく、ものを知らない。

何か創作をしようという人間が、こんなにものを知らないのでは、作ろうと思っても作れるものではない。

そんなワケで、速読談義。
私がちょろっと「速読」に関して、ネット上でちょろっと調べた結果に対する色々を羅列しているだけなので、絶対な意見ではないという事は、あらかじめ断っておきたい。

長くなってしまったようなので、暇な方、続きからどうぞ~。





以前から、通勤時間中だけでも(というか、そこしか時間が取れない)ので、ちまちま本を読んではいたのだが、とにかく読むのが遅い!
遅いと言う事は、冊数をこなせない!
こんなに遅いのでは、意味が無いのではないか!
そして考えたのが「速読」を、マスターする!

そう考えて、まずどこで教えているのか、受講料は幾らか等など、ネット検索していくうちに出た結論。

「もしかして、オイラには速読は必要ないんじゃないか」

……………………。

「速読」というものは何なのか。
実はかなり以前、NHKの例のアノ、「ためし○○ッテン」という番組で放送されていたのを、非常に興味を持って見ていたので、大体概要はつかめていた。

速読を、超能力か何かの、特殊能力みたいに、考えている人もいるようなんだが、アレは「技術」。
文章を速く読み進める為の技術が、速読。
もちろん、言葉の意味や、文章に対する理解力などが、速く読む事で、おざなりになってはいけないわけで、実際にマスターしている人の話では、ちゃんと、言葉に対する理解もきちんと出来ている模様。

但し、マスターするには、数ヶ月かかるらしく、トレーニングはかなり地味に、地道にらしい。

そこで一つの疑問が沸いた。

「速読で小説などを読んでも、ちゃんと感動できるかな?」と。

その結論が「速読は必要ない」だった。

速読は、参考書やテキストや、説明書などを読むぶんには非常に有効らしいのだけど、どうやら小説や物語を読むには向かないようだ。
感動は心の動きなので、文章を機械的に読み取る技術である速読をやってしまうと、心の動きが、どうやら速読という技術についていかないらしい。

仮にも(例えヘボでも)何かものを作ろうという人間が、文章から、感情を読み取れないようでは意味が無い。

実際は、速読をマスターしたからといって、本を読む際、全て自動的に速読になる、というわけではないらしく、小説などを読む時だけ、普通に読む、という事もちゃんと出来るらしい。
よって、速読をマスターする事は、別に損になるわけではない。

ただ、カルチャースクールなどで、速読を検索したりすると「趣味」や「教養」のカテゴリではなく「ビジネス」カテゴリにあったりした。(と、思う。)
それを考えると、速読という技術自体が、創作活動をする人間の技術とは、もしかしたら、対極の技術になるのではないか、と、思った。
「速読」は、あくまで文章を効率よく読み、理解する為の技術だから、効率と量を両方こなさなければならないビジネス界であれば、役に立っても、創作にそれが必要とは限らない。

イヤ、違う。
創作で、効率を求めようとしても破綻が来る。必ず。

例えば、絵を描き上げる、という作業として、効率を求める(特にデジタルイラストの場合)というのは、大いにアリだが、そこまで行く過程では、必ずしも、効率を求められるわけではない。というより、実際に「描く」という作業に至るまでを、効率よく出来るかというと、違う。
多分、誰もが、効率よく出来ればいいと、どんなに思っていても、出来ない場合が多いのではないか。

漫画を描くにしても、小説を描くにしても、音楽を作るにしても、みんなオニほど苦労して、一つの作品を作り上げるわけで、効率よく進めたくても、進められないのが、現実。

でも、不思議と、創作活動を続けてる人というのは、そういう苦労も含めて、創作が好きなのではないか、と思う。

速読の話から些かずれたけど、作家の大江健三郎先生も、速読を特別進めているわけではないらしい。
ソースがどこかのブログだったので、本当の話かどうかは不明だけれど、でも、本の読み方として、一字一句読み解きながら、分からない漢字や、単語、文章があればそのつど辞書を引いたりしてみる、などをして、ゆっくり自分の栄養になるように取り込む、という読み方があっても良い、という事を今回改めて感じた。

でも、多少は冊数をこなしたい!

ので、もう一つの結論。

「時間の使い方を何とかしろ。」

むしろ速読よりも自分には大事なスペックじゃまいか…orz

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